小さな日常からの
リスタート
意識の視点を切替えて
「自分が変わる」が始まる
決める

人生を切り開くファーストステップ|私のために、私が決める

はじめの一歩

「歩」の漢字を分解すると

ふと、ね、気付いたの。
あぁ、「歩」くって漢字は、
「少し止まる」って書くんだなって。

ほら、「止」の漢字の下に、
「少」という漢字が、あるじゃない?

歩くのに、止まるんだ??
なんか、不思議~~(笑)

そんな風に思いながら、
考えてたら、、、

高いジャンプのためには

ジャンプ前には、
深く下にしゃがみこんで、
それが高いジャンプになる。
沈みこむという逆の動きがあって、
高い大きなジャンプが可能になる。

もしかして、歩く、のも。
そうゆうことなのかなぁ?って。

歩き始める時、って、
少し止まってて、で動き出す。

歩き始める前の、
その少し止まってる時間って、
実は重要なのかも、って。

どんな一歩を踏み出そうか、
そうやって少し考えてる間。

いろんな思いがうずまいて。

でも、歩きだすことを、決めた。
そんな一歩。

私が、決めた、一歩。

人生を切り開く

自分で決める、ということ

そう。
自分で決める、ってとっても大事。

誰かが教えてくれた意見でも、
取り入れたのは自分。

だから、まずは「私が、決めた」を
一つずつきちんと明言することで、
納得できるし、不満が消え、
自分を生きてる実感がわいてくる。
不思議かもしれないけど、ね。

例えば、日常的なところから、
はじめてみるといいよね。

今日着る服、食べるもの、歩く道、
聞いてる曲、読む本、などなど。
そんな小さな選択の積み重ねが、
大きな選択ができる土台になるから。

自分を生きてる感

「誰かのために」というのは、
ていのいい「誰かのせい」
そうすると不満は消えない。

「あなたのために」と言いながら、
その人から自分が目算した見返りが
なかったら不満だし、
(普通、そこまでないものだし)
自分がやりたいことができなかった
という不満が残るしね。

その上、人のせいにするってことは。
自分の人生を自分では変えられない、
全部外的要因で決まってしまっている、
そう公言しているようなもの

そう思わない?

「私のために、私が決めた。」
こう変えるだけで、
めちゃ自分を生きてる感が出る

なんかステキじゃない?

出来事は、とらえ方次第。
自分がどうとらえるかで、
人生を変えることが出来る。

なんだか、とってもワクワクしない?