私の夢
「幸せそうに笑っているね」
私を見て言った、彼のその言葉に、
私は泣きじゃくった。
。。。その時に気付いた。
私、自然に、幸せそうに笑いたい、
それが夢だったんだ、って。
私は、小さい頃から、家族に対しても、
自分を良く見せようと、
嘘をついたり、
ごまかしや言い訳をして、
とりつくろって生きてきた。
笑顔の練習をして、口角をあげて、
笑顔で写真に写れるようにはなれたけど。
ふとした時に撮られた写真は、
きまってちょっと無愛想な感じで、
恐い感じだった。
だから、そんな写真見せられると
ショックだった。
ムリヤリ笑顔作ってないと、
笑ってないんだなぁ、って、
思い知らされるから。
そんな私が、自然に、幸せそうに、
笑ってるんだぁ、って。。。
なんか、泣けてきたの。
それはね。
外側に向かっていた意識を、
内側へ向けて。
自分の感情を見つめて、
自分の中の本音に耳を傾け始めたから。
結果を出せたとしても
「充実感=上達感、達成感」の誤解
もともとほんとセンスなくてね、私
なんというか、こう、
どんくさい感じなんだけど(;’∀’)
でもなぜか、良い先生に恵まれる。
つまり人を成長させることのできる先生
そんな本物に出会えてるんです。
あれ?そうゆう人達に出会えてる、
こういうのも才能なんじゃない?って、
最近思えるようになりました(*‘∀‘)
この才能は、私、かなり自信がある。
そして、出来ないことが出来たら
ホントにちょっとだけでも喜ぶ。
だってね、頑張っても、
ちょっとしか上達しないのよ(>_<)
そうゆうの、ぶきっちょでさ。
だからね、ちょっと上手くなると、
すごいーーって、自分で思えるんです
↑ノーテンキとも言う(笑)
ってか、ほんとうれしくて楽しくなる
だから、結構もくもくとやったりできる
ハデな上達はないしカメの歩みだけどね
そうして、何かしら達成感を得たくて
色々チャレンジして結果を出してきた
例えば、、、
元々運動音痴だったのに、中学になって
運動部に入ってレギュラーになったり。
高校の授業で初めて習ったテニスで。
あまりにも下手下手だったのが、
普通くらいにできるようになり、
5段階評価で体育で
最初で最後の5をもらったり。
音楽でも、楽譜読めない音楽音痴、
だったのが、高校で吹奏楽部に入り、
3年生で県大会に出場したり。
成人してからも、やったことのない
インラインスケートを教わり、
2年半で草レースにでて優勝したり。
ひと夏で、クロール25mからはじめて
1km泳げるようになったり。
英語もダメダメだったのが、
英検2級とれるくらいになったり。
パソコンも、機械音痴だったのに、
ブラインドタッチでさらさら打って、
エクセルやワードを駆使したり。
そんな風に。
ヘタっぴさんから、普通くらい、
それ以上にも上達したことは色々あって
達成感や、やった感を感じてはいた。
同時に、私が成長できるのを
教えるのが上手な先生、
そうゆう人を見つけるのが、
とても上手になったと思う。
カモフラージュ
でも、ね。
でも、でもね。
私はそれをやりたかったのかな?って
私の内側から発する気持ちが、ね、
ちゃんとあったのかな?って。
心が満たされてたのかな?って。
自分に疑問を投げかけてみると。。。
よくよく考えると、ね。
友達や周りの環境からの影響だった、
自分から発して決めたことじゃなかった。
そんなことに気づいてきた。
みんながやるからやる、という、
流されてるレベルだったり。
自分の存在意義のためだったり。
だから、教えてくれた人達や、
仲間から離れたら、
一人になったら、
やらなかったもん。
納得してたら、
やりたいことだったら、
自分一人でも勝手にやってるよね。
なんか、ね。
表面的な、外側に見える「上達」、
そこに意識が行ってて、
それはまるで、、、
内側の世界を見ないための
ダミーみたいで
自分が抱えている内側にある問題を
真っ向から見れなくて。
「今はこれやってるのー」
「これだけ上手になったのー」って、
一生懸命感を出して、カモフラージュ
してたのかな、って。
内側を見つめると、、、
見えてきたいろんな子達
呼吸法やヨガで身体を整えて行って
身体が健康になると心が安定してきて
心が安定してくると少しずつ自分の内側を
心理学を学びながら徐々に見つめて行き
興味はなかったんだけど、日々彼から
占星術の話を聞きながら。
いつのまにか、
自分自身を客観的に見てみたり、
日々の変化を見つめるツールとして、
活用するように。
そうしていくうちに、
内側の世界へ潜っていくことになって。
その内側には、いろんな子、
矛盾する子達がいてね。
そんな色んな子達をなだめすかしながら。
やったことないこと、
やるわけだからね。
わからないし、今までと違うことするから
とっても抵抗、するしね。
嫌な自分を見たくない、認めたくない
自分を変えてくことの、
まず最初の問題は。
嫌な自分がいることを認めること。
これを認めることは、
本当に大変なこと。
でもそうして、
まず自分の中にそれがある、
そう認めて見つめた上でしか、
取り除けないじゃない?
新たにどんどん、
いいものを取り入れていく。
それはそれでいいんだけれど。
ただ、今までの自分の中で、
変えたい部分を取り除く。
そうした作業をしなければ、
どんどん上塗りしてしまって、
取り除くことが難しくなってくる。
だから、自分が嫌な自分、
ここを見つめることに
なっていくんだけど。
そして取り除いていくことに
なるんだけれど。
ただ、自分の中にそんな、
どろどろとした暗闇があるなんて、
思いたくない。
まず、そんなものが存在することが
イヤだから、
存在を否定したり、
なかったかのようにそこにフタをして、
見ないようにしたり、
見たことを忘れ去ろうと必死になる。
頑張ってきたもん!
私を含めた女性というのは、
特にその傾向が強いのではないかな?
そう感じる。
それは、社会的な育てられ方として、
そうなりやすい。
何かをした条件によって「良い子ね」と
言われながら育つから。
それは、存在そのものだけで、
認められている、
そういう環境ではないってこと。
だから、自分に自信が持てない。
そして、自信がないから、
周りになんとか認められるようにと
良い子になろうと頑張ってしまう。
その過程で、ごまかしたり、
うそをついたりもしやすくなる。
そんな風に、
自分をどんどんごまかして、
自分を見えなくしながら、
どんどん自分の中の「良い子」を
完璧にしていく。
そうすると、
少しでも否定されたと感じると、
とても反発してしまう。
だって、そう思わない?
「こんなに頑張って良い子にしてるのに
なんでだめなのよ!?」
「なんでわかってくれないのよ!?」
と思ってしまうのよ。
非難された!と言って、
逆切れを起こしたりもできる。
感情的になってるから、
客観的に反省して、
「どうやったら次回は良く
できるのかしら?」
なんてことは、なかなか発想できない
もうほんとに、不満顔がいっぱい
「誰から」学ぶか
何を学び取っているか
精神的な面を成長させること。
ここでも、誰から習うかが、
すごく大きい。
どうしてかって言うと。
もちろん、知識とか技術もあるけど。
それ以上に。
教えてくれるその人の中に、
内在していることが、
こちら側に伝わるから。
そして受け継ぐことができる。
意識ってそんな世界なんだなって。
人からやり方を学ぶ。
それ以上に。
想いや意識を学び取っている。
だから、自分の精神的な成長には、
誰から学ぶか、がホント重要だなって。
そう思うのです。
本気でぶつかってみると
一緒にぶつかり合ってくれる、
そんな相手がいて。
今まで言えなかった、
押し殺してた自分の気持ちが
見えてきて。
そんな私を受け止めてもらえて。
安心してきて。
本当の気持ち、
本音を探るようになってから、
落ち着いてきた、というか。
自信のない自分でも、
ゆるせるようになってきて。
そうしたら、
喜怒哀楽な感情が色々あって。
そうやって、
感情を出せなくしてた自分自身を、
ゆるせるようになってきて。。。
ゆるゆると、幸せを感じ始めてる。
「あぁ、幸せは心で感じるんだぁ」
それをじんわり、実感してきたんです。
より成長するには
そしてね。
教わるということは、
教えることが大事。
そうすることで、
自分もまた新たなことを教えられたり、
教えていく中で発見があったりして、
いつの間にか上達してる。
不思議なんだけど、
私がとっても実感してることです。
だから、私はこれをもっと活かして、
変わりたいのに変われないって
同じように悩んでいる人とかに。
私が学んでいることやわかったこと、
経験して気付いてきたこと、
そんなことを伝えていくことで、
その人の成長につながれたらな、って
そう思っているんです。
そうしたら、私もまた、
どんどん成長していけるのかなって、
そんな風に思うから。
そうした教える、教えられる、場。
その重要性を感じてる。
もともとの才能がないからこそ、
どうやったら成長できるか、
そう模索して、たどり着いた、
私がとても納得してる方法☆
「成長したい」その一心で、
上を見続けようとする人。
そんな人に伝えたい。
私はそうありたいと思うし、
私が見ている前を進む人も
そうゆう方であるし
そんな流れがここにはあるから。